フィルムカメラ販売終了に想うこと

キャノンさんがフィルムカメラの販売を終了したそうです。(日本経済新聞平成30年5月31日夕刊記事より)

生産は既に2010年に終了していたとのことです。
修理は部品の在庫がある限り2025年10月31日まで続けるそうです。

ドイツのライカが初めて映画用のフィルムを流用した35㎜フィルムカメラを販売したのが1926年、遅れること10年、1936年キャノン(当時はカンノンカメラ)
が35㎜フィルムカメラを初めて日本で発売しました。

日本に於ける35㎜カメラのパイオニアです。
最大のライバル、ニコンはレンズメーカーから転身し1948年に35㎜フィルムカメラ販売を始めました。

80年以上の歴史があるフィルムカメラからの撤退です。
一時代の終わりですね。

CMOSの解像度がフィルムを超えてしまった現在、益々フィルムカメラの存在意義が無くなって行きつつあるので仕方ない事でしょう。

フィルムカメラで育った身としては一抹の寂しさも覚えます。
まだ辛うじてフィルムが販売されていますが、フィルムの販売が終了するとフィルムカメラは只の鉄の小箱になってしまいます。

ニコンさんの場合はフィルムカメラ用のレンズをデジタルカメラでも使えたりしますが、キャノンさんの場合はマウント方式が違うのでフィルムの販売中止はそのままフィルムカメラの息が止まるときです。

プロのカメラマンさんの中には未だにフィルムに拘る方もいらっしゃるので
多少のフィルムの需要はあるようですが、不況が来るとこういう部署は真っ先に整理される運命なのですよね。

なので日本の首相には歴代の経済音痴ではなく、安倍さんのようにマクロ経済学を分かって財務省の操り人形にならないで、その時代にあった金融・経済政策を打ち出せる人になって欲しいですね。

お役人は、こう言っては失礼ですが自分の所属する省益や天下り先の確保が最優先ですから、そうでなければ消費税10%に上げて税収を増やすとか、国債は国の借金だとかの発想は出てきませんよね。

消費増税は個人消費を冷やしますし(特に低所得者層に厳しい)国債は借金ではなく国の未来、国民の未来、国民の安全に対する投資ですよね。

話が逸れましたが、フィルムカメラはこの先何年寿命があるのでしょうか?
無くなるのはカメラが先か、フィルムが先かですね。

今カメラは小さなスマホの中に収まっています。
写真は大きな二つの潮流に分かれていると思います。

スマホの中の写真は文章代わりの記録としての写真や動画、一方本格的な一眼カメラで撮る写真は、写真のための写真でそこには撮影者のこだわりや意思や好みが介入してきます。
それを表現するためにレンズやアクセサリーにお金をかける事を厭いません。

当然、お互い重なり合う部分もありながら2分化されていくような気がします。

そんな状況の中フィルムが生き残って行くには厳しい環境ですね。
あえて利点を上げるとすれば、画像がアナログとして残るという事でしょうか?
これってもしかしたらデジタルより長く保存できたりするかもしれませんね。

将来、写真画像を長期保存するにはフィルムに残すというのが見直される時がくるのでしょうか?来ないのでしょうか?

デジタルデータをフィルムに焼くというサービスも細々ですが残っています、私も利用させて頂きましたがこれからも頑張って残って欲しいですね。

ライカ系、コンタックス系

日本の電気の周波数が関東と関西では違う事はみなさんご存じですよね。

明治時代に「関東電灯」がドイツ製の発電機を導入して50HZになり「関西電灯」はアメリカ製の発電機を使って60HZになったという話しはお馴染みですが、カメラにもそれがあるって知っていましたか?

 

ニコンとキヤノンではレンズの繰り出しや絞りリングの回転方向、シャッターダイアルの回転方向等が全て逆向きだという事に気が付いていましたか?

何故なのでしょうか?

 

それは遡る事90年前。

それまで双眼鏡などの生産を手がけていたドイツのライツ社が映画用だった35㎜フィルムで撮影できる「ライカ」というコンパクトカメラを1925年に発売しました。

一方、翌年1926年にカール・ツァイス財団によりレンズメーカーやカメラメーカ4社が統合してツァイス・イコン社が設立され「ライカ」の対抗機種として1932年に「コンタックス」を発売しました。

その際ライカとはピントリングの繰り出し方向などの操作系が逆だった事が発端です。

 

当時日本ではガラス乾版が主流で35㎜フィルムカメラを製造する技術はありませんでした。

そこで1936年に「精密工学研究所」後のキヤノンは「KWANON」(カンノン)と言う名前で、ライカをお手本に完全コピーした「ハンザキヤノン」を発売しました。

レンズは「ニッコール」でした。当然操作系はライカがお手本です。

 

その後キヤノンにレンズを供給していたニコンは1948年にライカとコンタックスをお手本にした「Nikon1」を発表、操作系はあえて「コンタックス」をお手本としました。

 

余談ですが35㎜カメラと言っても当初日本では32㎜カメラでした、少しでも多く撮影できるようにと日本独自の企画だったようですが外国製品との互換性に問題が出て2年で終了したそうです。(ガラパゴス化しなくて良かったですね)

 

しかしレンジファインダー式カメラではドイツ勢の技術に敵わないと判断した日本勢は一眼レフカメラに活路を見いだそうと開発に鎬を削るのです。そして操作系は一眼レフにもそのまま受け継がれたのです。

 

その後、戦後の日本の取材に来ていたライフのカメラマン、デイビット・ダンカンにより、厳しい条件下でもきっちり表現するニッコールレンズの優秀さが世界に発信され日本の一眼レフカメラは世界を席巻していくのはご存じの通りです。

物作り日本の本領発揮です。

 

しかし、現在はデジカメの時代で露光もピントもオートです。

操作系が逆だと言われてもピンと来るのは一眼レフをお使いの方々のみかもしれませんけどね。