デジタル写真の産声(3)

これから書く記事(3)(4)は正式に発表された事実はなく、友人のライターが関係者からの話しを基に推測した内容で、事実を確認する為の文書もインターネット情報もありませんのでお含み置き下さい。

当時の事実関係にお詳しい方の書き込みを歓迎致します。

 

(2)の続き

 

80年代以降、電子カメラの開発を始めた各カメラメーカーや各フィルムメーカが共有していた危機感と言えば、21世紀にはフィルム時代の終焉が来るだろうとの思いです。

その為キヤノンを始めとするカメラメーカーやフィルムメーカー、またソニー等は次々に電子カメラを市場に投入していきましたが、その写真の品質は到底銀塩フィルムに敵う物ではありませんでした。

そこでイーストマン・コダック、キヤノン、富士フイルム、ミノルタ、ニコンの5社が共同で次世代の電子カメラの規格作りを始める事となったのは自然の成り行きだったろうと思われます。

要するにフィルムからデジタルへのソフトランディングを狙った規格作りです。

その規格案は膨大な資金を投入して全世界レベルのマーケティング調査が行われました。以前その会社の日本法人に勤めていた人の話しによると、ほぼ100%の確率で世界の人々に受け入れられるだろうとの結果でした。

そして出てきたのがデジタル時代への橋渡し役になるAPSフィルム規格です。

ご存じのようにAPSフィルムには現在のデジタルフィルムと同じように撮影時の露光データが写真と一緒に磁気データとして書き込まれています。

この撮影時のデータを基に写真プリントが自動化され最適化される為、それまで人の感覚に頼っていた最適露光に関して効率化と無駄の排除が実現するのです。

先ずは撮影データのデジタル化から始め、その後フィルムのデジタル化に対応する予定だったのではないかと推測されるのです。

これが思惑通り進化していればデジタルカメラは現在とは違った形になっていた可能性もあります。

フィルムカメラの筐体を利用してフィルム装着部分をデジタルパックに差し替えるだけでデジタル化に対応出来ていたかもしれませんし、フィルムとデジタルを使い分けるカメラが発売されていたかもしれませんね。(ハッセルが実際そうですね)

しかし、何故APSが35ミリフィルムより面積の狭い16.7㎜×32.2㎜の規格になったのか?

品質にうるさい日本のカメラマニアの方はAPSフィルムに不満に思った人も多かったと聞きます。

それは半導体露光装置「ステッパー」の当時の最大露光サイズと一致しています。

「ステッパー」はご存じの方も多いかと思いますが光学系の強みを活かしたニコンやキヤノン等が生産しているシリコンウェハーに回路を焼き付ける半導体露光装置です。

撮影素子を作る際の最大サイズがそのままAPS規格のサイズに採用されたのではないかと思われます。当時は35㎜フルサイズの撮影素子を作れる環境ではなかったのです。

写真のデジタル化を視野に入れた規格だったからこそ出てきたサイズだったのではないでしょうか?

そうでなければ35㎜フィルムをそのままAPS化すれば済む話しなのです。

こうして将来のデジタル化を見据えた世界共通規格のAPSフィルムや対応カメラが大きな期待を背負って1996年4月に発売されたのですが…。

 

(続く)

デジタル写真の産声

古い話で恐縮ですが、デジタルカメラ誕生の歴史をちょこっと…。

1979年から1980年にかけてアメリカテキサス州の富豪ハント兄弟による銀の買い占め騒動がありました。

世界各地の富豪と手を組み全流通量の半分を買い占めた騒動です。

当時の銀価格は1オンス2ドル弱だったのですが忽ちのうちに50ドルにまで高騰しました。

ご存じのように写真フィルムは銀を使っています。

赤、緑、青に分かれた感光物質のハロゲン化銀に光が当たり変色する原理から成り立っています。

全銀消費量の25%を消費していた世界のフィルムメーカーは大いなる危機感を抱いた事でしょう。

しかし銀価格が急騰した事により買い手が見つからず、またヨーロッパの家庭にあった銀食器が換金の為に大量に潰され市場に出回り、アメリカ合衆国も銀の備蓄を大量に放出した事により、銀価格は急落、それを買い支える為ハント兄弟が資金を再投入するも買い支えられず破綻いたしました。

その騒動に危機感を抱いたのか因果関係は不明ですが、その翌年からCCDやCMOSセンサーを使った写真のデジタル化が進むのです。

既にコダックでは1975年にデジタルカメラを発明していましたが、積極的に商品化していったのは日本メーカーでした。

コダックはせっかく先行しながら利益率の高いフィルム市場に頼りデジタル化へのシフトが遅れ、後に破産申請する事になるのです。

フィルム時代の写真・DPEプリント店は本当に儲かったそうです。

自動DPE機を導入したお店のご主人が「打ち出の小槌のように儲かった」と当時を振り返ります。

世は正にカメラブームで写真プリント1枚出す度にお金を刷っているような感覚だったと言います。

またフィルムは現像する事により銀が溶け出します。

その廃液を業者がお金を出して引き取って、精製し銀を回収します。

普通の写真店でもそうだったのかは不明ですが、製版会社は製版フィルムを大量に使用していたので定期的に業者が回収に来ていました。

1996年米投資家のウォーレン・バフェット氏による銀の買い占め騒動が再び起こった際、勤めていた製版会社に見知らぬ業者が訪ねてきて廃液を高値で引き取ったりして、業者間による廃液の奪い合いが起こりました。

現在はデジタル化が進みフィルム現像する事が減ってきた事と、製版フィルムの銀の含有量も減った為お金を払って処理して貰っている現状です。

そんな銀塩フィルム全盛の頃、カメラのデジタル化が産声を上げるのです。