デジタル写真の産声

古い話で恐縮ですが、デジタルカメラ誕生の歴史をちょこっと…。

1979年から1980年にかけてアメリカテキサス州の富豪ハント兄弟による銀の買い占め騒動がありました。

世界各地の富豪と手を組み全流通量の半分を買い占めた騒動です。

当時の銀価格は1オンス2ドル弱だったのですが忽ちのうちに50ドルにまで高騰しました。

ご存じのように写真フィルムは銀を使っています。

赤、緑、青に分かれた感光物質のハロゲン化銀に光が当たり変色する原理から成り立っています。

全銀消費量の25%を消費していた世界のフィルムメーカーは大いなる危機感を抱いた事でしょう。

しかし銀価格が急騰した事により買い手が見つからず、またヨーロッパの家庭にあった銀食器が換金の為に大量に潰され市場に出回り、アメリカ合衆国も銀の備蓄を大量に放出した事により、銀価格は急落、それを買い支える為ハント兄弟が資金を再投入するも買い支えられず破綻いたしました。

その騒動に危機感を抱いたのか因果関係は不明ですが、その翌年からCCDやCMOSセンサーを使った写真のデジタル化が進むのです。

既にコダックでは1975年にデジタルカメラを発明していましたが、積極的に商品化していったのは日本メーカーでした。

コダックはせっかく先行しながら利益率の高いフィルム市場に頼りデジタル化へのシフトが遅れ、後に破産申請する事になるのです。

フィルム時代の写真・DPEプリント店は本当に儲かったそうです。

自動DPE機を導入したお店のご主人が「打ち出の小槌のように儲かった」と当時を振り返ります。

世は正にカメラブームで写真プリント1枚出す度にお金を刷っているような感覚だったと言います。

またフィルムは現像する事により銀が溶け出します。

その廃液を業者がお金を出して引き取って、精製し銀を回収します。

普通の写真店でもそうだったのかは不明ですが、製版会社は製版フィルムを大量に使用していたので定期的に業者が回収に来ていました。

1996年米投資家のウォーレン・バフェット氏による銀の買い占め騒動が再び起こった際、勤めていた製版会社に見知らぬ業者が訪ねてきて廃液を高値で引き取ったりして、業者間による廃液の奪い合いが起こりました。

現在はデジタル化が進みフィルム現像する事が減ってきた事と、製版フィルムの銀の含有量も減った為お金を払って処理して貰っている現状です。

そんな銀塩フィルム全盛の頃、カメラのデジタル化が産声を上げるのです。

 

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