ミノルタの由来に異議あり!

ブログ記事を書く為に色々調べ事をしていると様々な情報に行き当たる事があります。

これもその一つなのですが…。

現在のコニカミノルタって小西六とミノルタカメラが合併して出来た会社なのですが、世界初のオートフォーカス一眼レフカメラで一世を風靡したミノルタカメラもミノルタの名前を残すのみで、デジタル化の後塵を拝したカメラ事業はソニーに引き継がれました。

そのミノルタカメラの名前の由来なのですが一般的には「実る田」とか「Machinery and Instruments Optical by Tashima」の略称とか言われていてWikipediaにもそう記されています。

しかしミノルタカメラの歴史を少し調べると、それでは少しおかしい事に気が付きます。

当初ミノルタという名はカメラのブランド名でした。

ミノルタは田島一雄氏が1928年に「日独写真商会」を立ち上げたのが始まりです。

その後1931年には「モルタ合資外社」に社名変更しています。

「モルタ合資会社」の名前の由来はMechanismus Optikund Linsen von TAshimaの頭文字から取ったそうです。

ごらんの通りドイツ語です。カメラの本場はドイツだったわけですから当然です。

その時の主力商品が「ミノルタカメラ」でした。

と言う事は…カメラに「Machinery and Instruments Optical by Tashima」という仰々しい名前を付けたと言う事になります。それも英語で。

それに「… by Tashima」としていると言う事はそのカメラの設計が田島さんと言う事を表しているようで不自然です。ミノルタカメラの設計者は千代田実氏です。

コンピューターのない時代にカメラやレンズの設計をする事は膨大な計算を必要とし、正に設計の職人芸であったと思われます。

それ故ドイツでは設計者の名前がそのままレンズの呼び名になっていた時代です。

「モルタ合資会社」からカメラ設計者の名前を冠した「千代田工学精工」と社名を1937年に変更するのは技術の最先端をアピールする意味もあったのかもしれません。

「千代田工学精工」の主力製品と言えば千代田実さんが設計し、実とういう名前から「ミノルタ」と名付けられたカメラだった。

後に主力カメラの名前を社名にして「ミノルタカメラ株式会社」が1962年に誕生した。

実に自然な流れだと思いませんか?

 

またロッコールの名前の由来である六甲連山が見えたのは千代田さんの自宅からだとの事です。

一般的に言われているのが田島一雄さんの自宅や事業所から六甲連山が見えたので、レンズを「ロッコール」と命名したと諸説あります。

 

どちらが正しいのか確証はありませんが、引き続き調べてみても面白そうです。

なにせ若い頃お世話になったカメラメーカーですから…。

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