デジタル写真の産声(4)

(3の続き)

APSが発表される1年前の1995年3月、そのAPS規格グループに所属していなかった、電卓で一世を風靡したカシオから「QV-10」という1,8型TFT液晶画面つきコンパクトデジタルカメラが6万5千円という破格の価格で発売されました。撮影素子は5分の1インチCCDで25万画素でした。

当初はその画質から写真の本道には成り得ないと静観していたと思われるカメラ各メーカーでしたが、撮ったその場で画像が見られる利便性や、当時普及し始めていたパソコンに簡単に画像が取り込めることにより、たちまちヒット商品となりました。

写真をコミニュケーションツールに変えるきっかけの商品でした。

そのヒットを受け96年から97年にかけてコンパクトデジタルカメラの市場にキヤノンやニコンのカメラメーカーは無論、家電メーカーまでが続々参入し画像品質が急速に上がっていき、カメラを家電メーカーが作る時代となり、DVDプレーヤやテレビと並び家電量販店で売られる家電品となって行ったのは記憶に新しい所です。

しかし、いかに老舗カメラメーカーといえど当時は電子機器のコンパクトデジタルカメラ部門に関しては後発組です。

参入の早かったメーカーや電子機器設計技術を持つメーカーに頼る方がリスクもコストも抑えられた為でしょう、コンパクトデジカメの設計・生産はカシオやサンヨーといったメーカーにOEM委託し、いち早く市場に参入する道を選んだのは事情通ならご存じの事です。

そんな急速にデジタル化していく世の流れから老舗カメラメーカーも、最早APS規格に拘ってはいられなくなり、カシオの作った「その場で見られる」液晶付きデジタルカメラという電子部品の塊に主力の一眼レフでも追従する事になるのです。

こうして世界の写真関連メーカーが期待し、膨大な予算をかけてマーケティング調査したAPS規格はデジタルカメラ撮影素子の基準サイズとなりましたが、フィルムは中途半端なデジタル化商品として人々の記憶から消え去ろうとしています。

フィルムからデジタルへのソフトランディングを試み、デジタル化の主導権を握る為のAPS規格の目論見は、新しい発想のデジタルカメラの前に脆くも瓦解しカメラメーカーの予想を超えた速さでデジタル化が進行したのではないかと思われるのです。

家電メーカーをも巻き込んだ急速なカメラのデジタル化の対応を迫られたカメラメーカーは、長年培ってきた光学と工学の組み合わせの強みを活かせず体力を落としていくメーカーが現れる一つの原因だったのかもしれません。

カシオが液晶付きカメラの発売をしていなかったら、APSはどのような進化をしていたのでしょうか?

歴史に「もしも」はタブーですが興味のある事です。

 

 

 

 

以上、記事(3)(4)は正式に発表された事実はなく、当時は極秘事項だった為、後に友人のライターが関係者からの話しを基に推測した内容で、事実を確認する為の文書もインターネット情報もありません。

当時の事実関係に詳しい方の書き込みを歓迎致します。

デジタル写真の産声(3)

これから書く記事(3)(4)は正式に発表された事実はなく、友人のライターが関係者からの話しを基に推測した内容で、事実を確認する為の文書もインターネット情報もありませんのでお含み置き下さい。

当時の事実関係にお詳しい方の書き込みを歓迎致します。

 

(2)の続き

 

80年代以降、電子カメラの開発を始めた各カメラメーカーや各フィルムメーカが共有していた危機感と言えば、21世紀にはフィルム時代の終焉が来るだろうとの思いです。

その為キヤノンを始めとするカメラメーカーやフィルムメーカー、またソニー等は次々に電子カメラを市場に投入していきましたが、その写真の品質は到底銀塩フィルムに敵う物ではありませんでした。

そこでイーストマン・コダック、キヤノン、富士フイルム、ミノルタ、ニコンの5社が共同で次世代の電子カメラの規格作りを始める事となったのは自然の成り行きだったろうと思われます。

要するにフィルムからデジタルへのソフトランディングを狙った規格作りです。

その規格案は膨大な資金を投入して全世界レベルのマーケティング調査が行われました。以前その会社の日本法人に勤めていた人の話しによると、ほぼ100%の確率で世界の人々に受け入れられるだろうとの結果でした。

そして出てきたのがデジタル時代への橋渡し役になるAPSフィルム規格です。

ご存じのようにAPSフィルムには現在のデジタルフィルムと同じように撮影時の露光データが写真と一緒に磁気データとして書き込まれています。

この撮影時のデータを基に写真プリントが自動化され最適化される為、それまで人の感覚に頼っていた最適露光に関して効率化と無駄の排除が実現するのです。

先ずは撮影データのデジタル化から始め、その後フィルムのデジタル化に対応する予定だったのではないかと推測されるのです。

これが思惑通り進化していればデジタルカメラは現在とは違った形になっていた可能性もあります。

フィルムカメラの筐体を利用してフィルム装着部分をデジタルパックに差し替えるだけでデジタル化に対応出来ていたかもしれませんし、フィルムとデジタルを使い分けるカメラが発売されていたかもしれませんね。(ハッセルが実際そうですね)

しかし、何故APSが35ミリフィルムより面積の狭い16.7㎜×32.2㎜の規格になったのか?

品質にうるさい日本のカメラマニアの方はAPSフィルムに不満に思った人も多かったと聞きます。

それは半導体露光装置「ステッパー」の当時の最大露光サイズと一致しています。

「ステッパー」はご存じの方も多いかと思いますが光学系の強みを活かしたニコンやキヤノン等が生産しているシリコンウェハーに回路を焼き付ける半導体露光装置です。

撮影素子を作る際の最大サイズがそのままAPS規格のサイズに採用されたのではないかと思われます。当時は35㎜フルサイズの撮影素子を作れる環境ではなかったのです。

写真のデジタル化を視野に入れた規格だったからこそ出てきたサイズだったのではないでしょうか?

そうでなければ35㎜フィルムをそのままAPS化すれば済む話しなのです。

こうして将来のデジタル化を見据えた世界共通規格のAPSフィルムや対応カメラが大きな期待を背負って1996年4月に発売されたのですが…。

 

(続く)